日本が第二次世界大戦へ参戦した理由はなんで

Writer: admin Type: savan Date: 2019-02-03 00:00
日本が第二次世界大戦へ参戦した理由はなんですか?アメリカは格上で勝てないだろうに日本は調子乗ってた、みたいな印象でしたが、実際のところどうなのですか?補足インドのパール判事の話を聞きました共感した1###小さい面積で頑張ってる日本に大きなところから圧力がかかり過ぎたんじゃないですか?ナイス0
###鎖国も教訓にして周りと穏やかに出来ていたのは大正までだったのかなぁ・・・・
###この質問は投票によってベストアンサーに選ばれました!###日本が英米に宣戦布告した理由は、開戦の詔書(宣戦の詔書)と帝国政府声明に明記されてます。開戦の詔書(昭和16年12月8日、昭和天皇の詔勅)『(中略)今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。(中略)米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。(中略)私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。(以下略)』帝国政府声明(昭和16年12月8日、大日本帝国政府発表)『(中略)惟ふに世界万邦をして各々その處を得しむるの大詔は、炳(へい)として日星の如し。帝国が日満華三国の提携に依り、共栄の実を挙げ、進んで東亜興隆の基礎を築かむとするの方針は、固より渝(かわ)る所なく、又帝国と志向を同じうする独伊両国と盟約して、世界平和の基調を糾し、新秩序の建設に邁進するの決意は、愈々牢固たるものあり。而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こすのやむを得ざるに至る。何等その住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に復し、相携へて共栄の楽を分たんと祈念するに外ならず、帝国は之等住民が、我が真意を諒解し、帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足を期すべきを信じて疑わざるものなり。(以下略)』自存自衛とアジア解放のためです。ちなみに、重慶政府(蒋介石政権)は日本より先に宣戦布告してる。オランダも日本より先に宣戦布告してる。ソ連も日本より先に宣戦布告してる。英米だけ日本が先に宣戦布告してます。ちなみに第二弾フーバー元米国大統領、フィッシュ元米国下院議員、ウェデマイヤー元米陸軍大将、の御三方が、「ルーズベルトは日本との戦争を望んでいた。日本を挑発して先に撃たせた」と証言してます。御三方の回顧録(翻訳版)が出版されてるので読まれるといいですよ。ナイス0
###日本が第二次世界大戦へ参戦した理由を考えるにはまず、日本が第二次世界大戦へ参戦する原因となった「日中戦争(支那事変)」のことを理解する必要があると思います。第二次世界大戦が勃発したのは1939年、日本が同大戦に参戦する(太平洋戦争の勃発)のは1941年なのですが、前記した日中戦争が勃発するのは1937年の事です。考え方はいろいろあると思うのですが、私は日中戦争が勃発したのは「第二次上海事変」の勃発した1937年8月13日だと考えています。同事変は、日本の民間人が居住する上海の「日本人租界」と呼ばれる地域が、最終的には蒋介石国民党軍と中国共産党軍合わせて総勢20万の軍隊に囲まれた状態からスタートしました。しかも、この時も先に攻撃したのは蒋介石軍で、日本海軍に対する空爆が口火を切っています。尤も、この時はすでに日本軍からも中国の軍事基地(飛行場)に向けて軍機を発進させる命令が出されていましたから、たまたま中国軍の攻撃の方が早かっただけだとは思っています。この時点で、日本軍は蒋介石軍をせん滅する気満々でした。というのも、同事変が勃発する約1か月前、当時の中華民国の最北端にある「通州」というところで勃発した「通州事件」という事件で、蒋介石軍のうち、「第29軍」と呼ばれる部隊が中心となって、日本の民間人260名近くが文字通り「虐殺」される事件が勃発していたからです。どのような事件は、私もここで文字にするのも憚れるほどの「乱暴狼藉悪辣振り」。詳細はネット上で検索していただければいくらでも出てきますから、ご自身で検索してみてください。この事件を受け、日本軍は華北からこの「第29軍」をせん滅し、平定した後におきたのが「第二次上海事変」です。このまま放置していれば、日本人租界において一体何が起きるのか、これを想像すると本当にぞっとする状況でした。通州事件が一番酷かったので同事件を上げましたが、満州事変勃発前には「南京事件(1927年)」や「済南事件」など、同種の残虐な事件が蒋介石北伐中の中国では頻発しています。私は満州事変が起こった最大の理由はこれだと思っているくらいです。日本軍としても、「堪忍袋の緒が切れた」という表現が一番ぴったりとくると思います。また更に、第二次上海事変勃発後、日本海軍を空爆した爆撃機は、その帰り道で更に日本人のみならず、欧米の民間人も暮らす「共同疎開地」に対する空爆を行い、1600名もの民間人を殺しています。更にこの時の様子を撮影した画像、映像を蒋介石は当時の国際連盟に持ち込み、自分たちの仕業であるにも関わらず、その資料を「日本軍の仕業である」として国際連盟に訴えます。この事に対して日本軍は全く言い訳をしませんでした(日本軍はすでに国際連盟の事を全く信用していませんでした)ので、蒋介石の言い分が全会一致で可決され、日本に対する経済制裁を行うことが「適当である」ことが認められてしまいます。これを受けて、「イギリス」「フランス」「ソ連」は陸路、及び空路を使って蒋介石軍を支援(援蒋ルート)、アメリカは金銭的な面で蒋介石軍を支援していた上、日本に対しては段階的に資源の輸出に対する制限をかけてきました。有名な「南京大虐殺」があったとされる「南京事件(1937年)」が起きるのは上海事件の後。蒋介石軍を追いかけた日本軍が到達した南京にて行ったとされています。ですが、例えば中国のその「記念館」には、南京にて日本軍が到達する1週間ほど前、蒋介石軍自らによって逃げ道をふさがれた南京城から脱出しようとする兵士たちと、これを阻止しようとする兵士たちの間で行われた「同士討ち」によって揚子江に浮かんだ死体の山が展示されているなど、全く信憑性に欠けるものです。ちなみにユネスコ記憶遺産に提出された「証拠」とされるものも、通州事件において自分たち中国人が日本人に対して行ったことを撮影したものが提出されています。そんな中、フランスから蒋介石軍への物資の輸送をやめさせるため、現在のインドネシアに相当する「仏印」の北部を、日本軍がフランス政府同意の下、軍隊を駐留させます(北部仏印進駐)。この頃から、日本政府は米国政府の間で「日米諒解案」というもののやり取りを始めます。要は、米国と日本の間で妥協点を見つけ、事態を穏便に収束させようとするものです。最初に米国側から提示された諒解案には、「ハル四原則」というものが付け加えられていました。(1)すべての国家の領土と主権を尊重すること(2)他国の内政に干渉しない原則を守ること(3)通商の平等を含めて平等の原則を守ること(4)平和的手段によって変更される場合を除き太平洋の現状を維持することこのうち問題となるのは2番。元々日米他、イギリス・オランダ・イタリア・フランス・ベルギー・ポルトガル、そして「中華民国」との間で「9カ国条約」というものが交わされており、この9カ国条約に基づく国際協調体制の事を「ワシントン体制」と呼んでいました。2番に記されている「原則」とはこの9カ国条約にあるもので、「他国」とはすなわち中華民国の事です。つまり、米国は日本に対して中国に対して軍事的な行動を行うな、と言ってきたわけです。ですが、前記した通り、もし日本が中国から軍隊を撤退させてしまえば、中国で一体どんなことが起きるのかということは想像に難くないわけです。ですから、日本側としては絶対に飲むことができません。また、4番の内容は米国がフィリピンに保有している「権益」を意図したもので、要は日本は東南アジアに米国が保有している権利を侵害するな、と言ってきているのです。ですが、日本にはもちろんそんなものを侵害する気などさらさらありません。欧米が蒋介石軍を支援したりするような真似をしなければ。また一方で日本はドイツと同盟関係にあり、米国はイギリスと同盟関係にあります。日本は米国に「欧州戦に参戦しないこと」を、米国は日本に「ドイツとの同盟を解消すること」を要求します。米国と日本とのやり取りの中で、米国は「米国が自衛に関する現在の政策を実行することに依り欧州の戦闘行為に巻込まるるが如き場合」、日本はヒットラーの側について戦うのではないか、という報告が米国政府に次々に上がってきているという主張を行っています。日本側では、「米国がもし欧州戦に参戦すれば、三国同盟に基づいて対米開戦せざるを得ない」ことを実際何度も米国側に対して主張しているので、これは事実なのですが、では米国が「自衛に関する現在の政策を実行することに依り欧州の戦闘行為に巻込まる」状況とは一体何を指しているのでしょうか?つまり、米国は米国にとっての「自衛」に関する現在の政策を実行すると、欧州戦に巻き込まれる可能性を示唆しているわけですが、では米国にとっての「自衛」とは一体なんなんでしょう?米国は、つまり日本が中国や東南アジアにおける米国の「権益」を侵害するための「侵略」を行っている、と考えており、日本に対し、その「権益を侵害するな」と主張しているのです。米国にとっての「自衛」とは、自国がアジアに保有する「権益」を守ること。ですが、日本にとっての「自衛」とは、文字通り中国に住む自国の民間人の安全と生活を守ること。日本は必死にこれを主張するわけですが、米国は全く受け入れません。それどころか、日本に次々と経済制裁を科し、特に「南部仏印進駐」を行ったことを受け、日本に対し「石油全面禁輸」を行ってきます。そしてこの状態で日本側が米国に出した「日米諒解案」に対し、再び米国側からの「日米諒解案」を突き返してきます。これには「オーラルステートメント」というものが付け加えられていて、ここには「これは第三国を招いて交渉を進めていくためのたたき台である」という言葉が添えられていました。そして更に、「議論を半年前の時点に戻って、もう一度やり直しましょう」という言葉が添えられていました。日本側は日米開戦をなんとしても食い止めるため、ハルと散々「日米諒解案」のやり取りを行ってきたのですが、これに対してハルは「え、これって『交渉』だったの? 私はてっきり『予備交渉』だと思ってたよ。だったらもう一度半年前の状態に戻って最初からやり直そうよ」と言ってきたのです。もちろん、この段階で日本は交渉が決裂すれば軍事行動を起こすことを決定していて、すでにハワイに向けて軍艦を出向させていたのですが、日本側とすれば、相手は大国アメリカですから、もし開戦するのであれば奇襲をかけ、先制攻撃をする以外に勝ち目はありません。ですから、ギリギリの交渉の中で、和平交渉が成立することと、開戦することを共に想定して準備を進めていることは、何らおかしいことではないと思います。ちなみに最後につけつけられた日米諒解案には、「日本国政府は支那及び印度支那より一切の陸、海、空軍兵力及び警察力を撤収すべし」とも記されています。軍隊だけでなく、警察権まで撤収しろと言ってきているわけです。はっきり言って飲めるわけがありません。これ以上引き延ばすにも資源がありませんから、ギリギリの選択だったのではないでしょうか。ちなみに、この一番最後の日米諒解案が、所謂「ハルノート」と呼ばれるものです。こういった一連のやり取りを見て、本当に「調子に乗っていた」といえるのでしょうか? 資源を絶たれて困るのは軍人だけではありません。当時中華民国の東部は「汪兆銘」という人物が統治していて、この地域への資源は日本が提供していました。そして何より、日本本土の国民の生活もかかっているのです。どちらにせよ、そう容易にできる決断ではなかったのではないでしょうか。ナイス0
###必然性によるものです。回避の手段は全てアメリカに潰されていました。勿論日本側にも悪い点はありましたが、アメリカとの全面戦争を望む者はキチガイだけでした。日本海軍連合艦隊司令長官の山本五十六海軍は、日米開戦不可避の状態に陥れた近衛文麿に対し、「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」と語たり、また、日独伊三国同盟成立に際して、友人に対し「全く狂気の沙汰。事態がこうなった以上全力を尽くすつもりだが、おそらく私は旗艦の上で戦死する。そのころまでには東京は何度も破壊され最悪の状態が来る」とも語ったそうです。しかし、外交の失敗と軍部の暴走の結果、日米開戦が決定。勝利を得る可能性は真珠湾速攻にしかないと考えた山本はこれを実行。しかし、宣戦布告の伝達が不具合で間に合わず、悪名高い真珠湾奇襲となりました。ナイス0
ico_check不適切な投稿でないことを報告###自存のため、つまり自給自足体制を構築するためです。要は石油をはじめとする資源確保。参戦というと、ちょっとアレですが。日本は日本の事情で、米英と対立するようになり、そこに丁度、欧州でドイツがフランス、オランダを屈服させ、英国を追い詰めていたので、これと手を組んだという流れです。勝てないだろうに調子に乗ってた、というのも少し違います。対米戦となれば主役は海軍ですが、開戦前は造船にせよ、軍事にせよ、決して技術は劣らないくらいに発達していました。世界の海軍力のトップは米英日だったのです。ところがワシントン、ロンドン軍縮会議で、保有艦艇数で対米比率で不利に抑えられてしまった。この数を補うため個艦の練度を上げてなんとか対等にしようとしていた。この海軍大国同士がぶつかれば、ただじゃ済まない、勝ててもボロボロ、負けるかもしれないほど戦力は拮抗しているという認識だった。決して調子に乗ってたわけではない。しかし、大事な点の検討がおろそかだった。すなわち工業力や経済力、資源、輸送、兵站といった総力戦の力。この点を知っている後世の今だから、勝てるわけがなかったなどと言いますが、それは後知恵。当時は、特に短期決戦を目指したこともあり、戦力で判断したので、今なら勝てるかもしれないし、負けるかもしれない、やってみなければわからない、という意見に押し切られ開戦に踏み切りました。ナイス0
###中国大陸での暴走を敢えてガン無視するなら理不尽な要求突きつけられた事が一応動機ではある。無論、ドイツの快進撃に感化された側面もあろう。とはいえ、有識者はアメリカは格上で勝てないだろう事はわかっちゃいた。軍部の暴走だけでは説明は出来ない点があるとするなら、上記暴走は陸軍であり、太平洋戦争の発端は海軍なのだから。o○一枚岩じゃぁ~無かった要素はある。国家戦略として二面戦争に突入する事はただでさえ厳しい。が、まぁ調子に乗ってた、盲目的であった、逆ギレ…どういう表現にするかはともかく、多くの輸入をアメリカに頼ってた以上、その輸入を絶たれた時点で選択肢は少なかった…とも言える。放置したなら自滅の道、打って出てもヤバそうだが…が。o○パール判事か、日本に同情的な感じな判断されてた方か。まぁインド攻略も(んな余力があるかどうかは別にして)日本は視野に入れてたから…本格的に戦ってたらそんな判断したか微妙なのかなぁ~。いずれにせよ、そう…資源奪取が根本的な動機だ。他はこじつけだよな、大東亜共栄圏だのはσ(-ω-*)フム。アジアを制するだけなら極端アメリカと相まみえる必要は無かったかもしれない。フィリピンが実効支配アメリカだった何て事無視するならば(;一_一)。そこ素通りで東南アジア進出は、横っ腹突かれかねんからな(それがわかってた割にシーレーン防衛甘かった云々は余力が無かったからと言えなくもない。ほんとに忘れてた感も拭えんがΣ(゚Д゚ υ) アリャ)。しょっぽクンナイス0

 

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