三蔵法師は一人で砂漠を長い距離に渡って旅を

Writer: admin Type: savan Date: 2019-02-07 00:00
三蔵法師は一人で砂漠を長い距離に渡って旅をしたとされているみたいですが、なぜ餓死しなかっだのでしょうか?よろしくお願い申し上げます。共感した0###玄奘三蔵の前にほぼ同じコースで天竺まで行った法顕三蔵って三蔵法師も居たわけで。法顕三蔵は5人ぐらいの坊さん集団で行ってるが、先に行ってる人が居れば後から行くのはそれほど難解でも無いわな。ナイス0
###法顕三蔵については「徒然草」にも”法顕三蔵の、天竺にわたりて、故郷の扇(おーぎ)を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願い給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色(けしき)を、人の国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都、「優に情ありける三蔵かな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくく覚えしか。”なんて一節が有るのに何故かマイナー。
###あー、もしかして玄奘がたった独りで誰の援助もなくとぼとぼ歩いて天竺目指してた、ってなイメージなんですかね?それ、間違ってますからね?ついでに言えば、砂漠ばっかり歩いてたんではなくて平野部から山岳地帯まで様々な場所を歩いてます。むしろ山岳歩いてた期間の方が明らかに多いですね。玄奘は多くの人々の助力を得て天竺まで旅しました。周辺の国々では中華の宗主国からわざわざやってきた高僧という事で、王族クラスが歓待して説法をねだる事も多かったようですね。時には一定期間逗留してその地の仏僧たちを指導した事もあったみたいです。それに玄奘は唐の朝廷から出国の許可を得ないまま天竺に旅立ったため、まっすぐ天竺を目指すことが出来ませんでした。なのでまずはシルクロード経由で西方を目指し、中央アジアの諸国を巡りながら険しいパミール高原からヒンドゥークシュ山脈を越えて天竺に至っています。この時は主に西域の商人たちのキャラバンに混じって行動していたので独りではありませんでした。で、天竺からは最短距離と言われる西域南道を通って唐に帰還しますが、出国から帰国までは天竺で過ごした期間も含めて実に16年を要しています。出国の際は隋から唐に時代が変わってまだ間もない時期で政情不安でしたが、帰国した時には唐の支配もすっかり落ち着いており、天竺から貴重な経典を大量に持ち帰った玄奘の功績は高く評価され、16年前の密出国の罪も不問とされました。ナイス0

 

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