元禄時代の経済について。

Writer: admin Type: savan Date: 2019-02-13 00:00
元禄時代の経済について。荻原重秀の改鋳によって、金の含有量が少ない小判を大量に流通させて幕府は多大な収益を上げましたが、その結果物価が上昇し、人々の生活を圧迫した、とありました。ここで疑問が二つあります。一つめは、なぜ幕府は多大な収益を上げたのか。お金をたくさん発行したところで幕政が豊かになる気がしません。二つめは、なぜ物価が上昇したのか。インフレのことはもう調べたのでだいたい意味はわかりました。でも、金の含有量が9割の小判と5割の小判に同じ価値を位置付けたら、貨幣価値は下がらないと思います。なのにどうして貨幣価値が下がったのかわかりません。例えば、金で作られた百円玉があり、その百円玉でパンを1つ買えたとします。しかし、金の産出量が足りなくて、金で百円玉を作れなくなりました。そこで、銅で百円玉を作りました。銅の百円玉でもパンを1つ買えるよ、と政府が設定すれば、見た目と材料は違えど、金であろうが銅であろうが扱いは変わらないと思います。ご回答よろしくお願いします。共感した0###毎年何十萬両の支払があるわけです。幕府は金銀の鉱山によって貨幣を製造しているのですが、支出が多すぎれば、貨幣の製造が間に合わなくなります。幕府の収入源は、年貢と金銀鉱山で製造される貨幣です。仮に、1年間に10万両の製造しかできないのに、1年間に15万両使用したら幕府の財政は圧迫されます。しかし、貨幣の品質を悪くして、1年間に20万両製造できるようにしたら、5萬兩の黒字になります。物価とは貨幣に対して品物の価格が上昇することです。財政が楽になった幕府は、収入が多くなったのだから、幕府は沢山物を買い入れたりするようになります。支出を増やします。需要が高くなったので品物の価格はあがります。品物の価格が上がれば、支出がもっと増えます。この循環で市中には貨幣が増加します。品物の価格があがったのですから、販売した人の手元にも多くの貨幣が渡り経済循環から、インフレが起きます。庶民とはは労働者です。労働者は日銭で生活しています。1日の日当に変化がないのに、物価が上がれば、生活がくるしくなります。労働者の賃金があがるのは、大分遅れるのです。ナイス0
###2つめに関してはよくわかりました。ありがとうございました。当時は、お金を作れば作るほど幕府がお金持ちになっていったんですか?現代は当然そんなことないんでしょうけど。幕府の財政が豊かになる→幕府がお金をたくさん使う→物価上昇→お金足りない→貨幣増産→幕府の財政が豊かになるこの循環はわかりました。そしたら、1年に15万両必要になったときに、きっちり15万両だけ製造したら、幕府の財政は安定しつつインフレも起こらなかったと思いますか?品物の値段を一定に保ったまま、流通する貨幣が多くなったら、いいことずくめだと考えてしまうんですが、そこはどうなんでしょう。経済は勉強したことがないので質問ばかりで申し訳ありません。
###ごめんなさい、こんなにたくさん回答を頂けるとは思いませんでした。ありがとうございました。一番わかりやすかったのでこちらをベストアンサーにさせていただきます。###お金がないところを、お金を大量につくったのだから最初は豊かになります。ただし、あっという間に貨幣価値が下がるので物価上昇となり、余計に苦しくなります。新しい小判は金の含有量が少ないのに一両。古い小判は金の含有量が多いので一両。どちらも一両です。あなたはどちらの小判を求めますか?当然、金の含有量が多い古い小判を求めます。一両として。だけど、皆金の含有量の少ない小判は使いたくありません。もったいないから。全員、自分の金庫やタンスに入れて金の含有量の多い、古い小判は出回らなくなります。これが『悪貨は良貨わ駆逐する』というグレシャムの法則。巷では、それまで流通していた古い小判が姿を消します。そして、「この一両は金の含有量が少ないから、二枚で一両とします」という商人などが出てきて、瞬く間に広がります。小判を増産した上に、品質の良くない小判という理由でつれまでの二倍の二両でないと購入きなくなるということです。インフレにさらに拍車をかけたのが出目です。あなたは間違えています。金でできた百円玉と銀でできた百円玉があるとします。どちらも百円ですよ。政府が百円と決めたから、同じように市場で取引されると思いますか。そうはなりませんよね。これが市場経済といわれるものです。あなたのいう百円は百円だという論理で経済を破綻させた国はたくさんあります。アルゼンチンとか今のベネズエラなんかもそうですよね。あなたはあまりに管理通貨制度に毒されています。昔は金や銀といった貴金属にその価値を置いているので、そこをいじると暴落します。金本位制って知っていますか?ナイス0
###>なぜ幕府は多大な収益を上げたのか。元禄の改鋳によって小判の含有金量は2/3になっています。100両の慶長小判を回収して、混ぜ物をすると150両の元禄小判ができます。ここで引き換え引替えに関して慶長小判に1%のプレミアムを付けて交換しましたので、単純には49両が幕府の懐に入るわけです。実際には約900万両の慶長小判を回収して、さらになけなしの幕府の備蓄金銀も取り崩して約1400万両の元禄小判が造られました。900万両の慶長小判から1350万両の元禄小判を造ると単純計算では441万両の利益が幕府に入ります。実際には金座の鋳造手数料、経費などを差し引き428万両の利益が幕府に入りました。ただ、商人もバカではないので良質の旧貨幣を中々引替えようとせず退蔵し、幕府は通用停止をちらつかせながら旧貨幣の回収に努力し、交換には10年余りを要しています。>なぜ物価が上昇したのか。>金の含有量が9割の小判と5割の小判に同じ価値を位置付けたら、貨幣価値は下がらないと思います。当時は世界的に貨幣の金銀含有量が貨幣価値を決める時代であり、それは1930年代まで続きました。現代の経済学では語れない部分があります。銅で造った小判では当時の商人は1両とは認めませんでした。江戸時代の物価は商取引によって相場が決定されており、さらに海外との交易では商品代は、貨幣中の純金純銀の含有量で以て取引されました。ですから商人らにとって貨幣中の含有金銀量は大変重要です。これまで2両で買えたものは新小判ではおなじ含有金量の3枚が要求されますから、単純計算で50%のインフレです。「11年間の平均が、年率3%弱」は村井淳史による試算であり、これを引用する人は多くいます。元禄8年(1695年)の改鋳と時を同じくして奥州を中心とした冷害による大飢饉がは発生しています。元禄の改鋳前は米1石は銀40匁台で推移していたものが翌元禄9年には銀100匁を超えたわけですが、これだけの高騰は明らかに冷害による不作の影響が確かに大きいです。元禄の改鋳では金の品位は2/3になりましたが、銀の方は4/5と低下率が小さく、そのインフレ率は25%です。米価は大坂の取引価格で銀建てですから小判ではなく丁銀による価格で論じなければなりません。江戸時代の通貨は「小判」だと思っている人が多いですが、商人らが取引に主に用いたのは丁銀(銀目取引)です。元禄の改鋳では金建てでは物価は50%上昇、銀建てでは25%上昇で、新旧金銀の引換には10年程度のの年月を要しています。金建てで10年で50%のインフレならば年率平均4.1%と計算できます。銀建てで10年で25%のインフレならば年率平均2.3%となります。そうすれば村井による推測3%も、10年程度の年月で慶長丁銀が元禄丁銀に引替えられていった事実と一致するわけです。だから元禄9年の2倍以上の高騰の原因の主因は不作にあるとして、改鋳による影響は確かに25%のインフレです。そして宝永8年(1711年)に品位20%の四ツ宝銀が発行されると、品位80%の慶長丁銀に対して米価は4倍の160匁を超える高騰となったわけです。元禄銀では品位低下分の25%しか上昇していないのに、飢饉や宝永の改鋳による高騰を区別せずに論じている日本史の教科書に問題があるのではないでしょうか。ナイス0
###「貨幣は国家が造るもの、たとえ瓦礫であっても行うべし」荻原重秀は実物貨幣から名目貨幣へと言う貨幣観を自覚的に持っていた強烈な信用貨幣論者で、ヨーロッパの経済学界よりも200年も早く、名目貨幣の考え方に気づくことができた人物でした。物価変動の原因は、通貨供給量だけではないことは自明です。この当時、流通商品の多くが農産物であり、価格変動の一番の要因はなんと言っても供給量でした。もし物価が騰貴していたとして、どれくらいが貨幣の改鋳によるもので、どれくらいが供給量不足によるものなのか、こうした考察を経ないで、改鋳=物価高騰と短絡させてしまうのは、大変な誤認です。物価高騰で特に目立つのは、貨幣改鋳年である元禄八年(1695)と翌年の米価急騰です。元禄九年の大坂米価は、当時としては史上最高値であり、これが後世の人々にも、貨幣改鋳=物価高騰と言う強烈な印象を刷り込みました。しかし、この年と前年は梅雨明けが大幅に遅れ、深刻な冷夏の影響で気温も日照も例年を大きく下回り、稲作は深刻な打撃を受けたのです。こう言う気象条件で米価が高騰しないほうがおかしく、さらに元禄十六年(1703)には元禄大地震があり、これも米価に影響を与えなかったとは考えにくいです。こうした天災があったにも関わらず、それを含む11年間の平均が、年率3%弱の上昇率でした。当時の庶民は、米価の上昇は異常気象や天災の結果と素直に考え、改鋳による貨幣供給量の増大が米価高を招いたなどとは思っていなかったと言います。豊作だった宝永元年(1704)と翌年は、過去13年来の最低水準まで暴落していて、もし貨幣改鋳によるインフレ圧力が強烈であれば、こんな年が出現するはずはありません。幕府が行った貨幣改鋳が一般大衆の犠牲の上に多大な収益を稼いだとする説は誤りです。庶民は別に改鋳に苦しんでいませんでした。改鋳の被害を受けたのは改鋳前の慶長金銀を大量に保有していた商業資本や富裕者層です。商業資本や富裕者層にしてみれば、保有している慶長金銀がいずれ、購買力の小さい元禄金銀と強制的に対等交換させられ、蔵に積み上げた千両箱の実質購買力が切り下げられる。改鋳の実態を知って、憤慨したに違いありません。商業への課税は現在においても困難です。当時は課税する方法はまだ発見されず、江戸時代後期頃になっても、せいぜい株仲間の結成を認めて運上金を上納させる程度のことで、利益に応じて課税することは不可能でした。改鋳によって保有された富の価値を減らし、その収益を幕府が稼ぐということは、税務調査をすることもなく、富の多さに比例して一定の割合を吸収することになり、慶長金銀の保有量が多ければ多いほど、課税率が大きくなると言うシステムでした。つまり貨幣の改鋳とは、商業資本力時、最も経済力を持っていた商業資本から、税と言わずに富を吸い上げると言う意味でも、巧妙な手段でした。商業資本や富裕者層は、改鋳後、資産を小判など保有くることのリスクを覚悟しなければならなくなり、富の分散、つまり小判などの貨幣保有以外の富の蓄積方法、例えば在庫投資などに振り向ける比率を高めました。参考:荻原重秀の生涯ナイス0
###金銀を使う量が減れば、幕府に残る金銀が増えるので、財政が潤う訳です。しかし、昔から改鋳は悪とされてますが、確かに、見た目が同じで、幕府が発行したと言う信用があれば、問題なく流通するはずで、それが駄目なら、現代の紙幣の一万円でも、五千円でも、原価価値が本当の価値と言う事になってしまいます。インフレが、起きるのは、市場に出す貨幣が多過ぎたか、政府の信用が低い事。当時、幕府の信用は絶大でした。デフレが、起きるのは、市場に出す貨幣が少な過ぎて、物価は下がるが、買う金が足りなくなる状態。金銀の鉱山の生産量が、デフレを起こしかねない訳で、経済通からは萩原重秀は優秀な経済官僚と評価されてます。萩原の生きた元禄時代は、庶民文化の花開いた時代。景気の波はあったでしょうが、深刻な不景気に陥ったとは考えられないことです。ナイス0

 

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